フィレンツェ 散策 18
2010年01月10日
フランス王ルイ12世が死亡し、フランソワ1世即位する。
ここからイタリア、フランス、スイス、スペイン、神聖ローマ帝国、オランダ、オーストリアの貴族勢力が執拗に絡み合い権力争いへと突入してゆく。
まず、教皇レオ10世はフランソワ1世の叔母オルレアン公妃の妹とメディチ家のジュリアーノとの結婚を画策し、フランソワ1世の懐柔に勤める。
しかしフランソワ1世もまたかつてシャルルが野望を抱いたように、イタリアでのフランスの権利の行使を決意し、密かに侵略の口実を探る。
そのため教皇レオ10世の申し出にはのらりくらりと話をのばし一向に進展の様子を見せない。
教皇レオ10世は止む無く、スペイン王フェルデナンド、神聖ローマ帝国皇帝、スイスと同盟を結ぶことにする。
そんな中、フランソワ1世は10万の兵を従えアルプスを越えたのである。
不意をつかれたイタリア、スペイン、神聖ローマ帝国のイタリア同盟軍は急遽兵を集め応戦態勢に入る。
カドナール指揮下のスペイン軍、シオン枢機卿マティアス・シネル率いるスイス傭兵軍、総司令官ロレンツォ・ディ・メディチと教皇特使ジュリオ枢機卿率いるフィレンツェ軍である。
イタリア同盟軍はまず様子を見るため、ロレンツォとジュリオがフランソワ1世と交渉する戦術に出たが、フランス軍は一気に軍を進めマリニャーノでスイス軍を一蹴し、ミラノを占拠、そしてボローニャに進軍するに至った。
後手に回ったイタリア同盟軍はやむなくボローニャで教皇との協議を提案した。
教皇との協議となればフランソワ1世も応じる。
しかし協議は大いに難航し、結局優勢であるフランス側の主張を受け入れざるを得なかった。
そして教皇領であった北イタリアの多くが、フランスの友好国であるフェラーラに返された。
さらにフランスはナポリの権利を主張してきた。
ここに及んでは立場が悪すぎた、教皇は反対しつつも柔軟性を示し、即決は出来ない為会議にかけて結論を出すことを示唆し何とかこの場をしのいだのである。
メディチ家にとっては収穫があった。忠誠のしるしとしてのジュリアーノはフランス王国に留まり、アムール公となることで、フランソワ1世に使えることとなったのである。


