フィレンツェ 散策 14
2009年12月15日
1592年~1537年のメディチ家
ロレンツォ没後、あとを受け継いだ22歳のピエロ・ディ・メディチは「未だに甘やかされて育った気まぐれな子供」でおよそ人を引きつける魅力に欠ける人物であった。
メディチ家の支配体制は、もはや永続的なものとなっており、支持者の意見を無視してもやっていけると思ったのか、ビジネスと公務には目もくれなかった。公務は秘書のピエロ・ドヴィッツィー・ビッビエナに、又崩壊しつつあった銀行の管理はおよそ適任とはいえない大叔父ジョヴァンニ・トルナヴォーニにまかせっきりであった。フィレンツェは次第に浪費と快楽が蔓延し、経済状態も秩序も崩壊してゆく。
この頃フェラーラ生まれのジローラモ・サヴォナローラがボローニャのドメニコ会派からサン・マルコ修道院の「教導」として派遣されてきた。
サヴォナローラは素行を改めなければ、おそるべき天罰を受けるであろう。
人々を救う道は唯一つ、初期キリスト教会の単純さに戻る以外にない。
アリストテレスとプラトンに背を向けよ。
贅沢をやめよ。
享楽を追い求めるな。
ギャンブル、トランプ、謝肉祭、競馬、華美な衣類、香水、虚飾を捨てよ。
聖母マリアを売春婦の様に描いた絵はことごとく抹殺せよ。
政治制度を改革せよ。
国家は祈りによって統治されるのではないと公言したコジモは過ちを犯した。
祈り以外に国を治める方法はないのだ。
フィレンツよ、悔い改めよ、まだ時間はある。
今災難が降りかかるのは、祈りを忘れ、享楽に身を染めた罪のせいだと説き歩いた。
遅くはない今から悔い改め、人の自由より祈りを優先すべく教えたのである。
混沌とした中、様々な出来事が続いてゆく。
フランス王ルイ11世が世を去った。
後を継いだシャルル8世は精力にあふれ、野心に燃えた若者だった。
よく整備された常備軍を華々しく活用し栄光を手に入れようとしていた。
しかし英雄的な騎士という役割はシャルルの柄ではなかった。近眼の小男で大きな鉤鼻、いつも開いている分厚い唇がひげに隠れ、頭と手はいつも麻痺したようにピクピク動く。背を丸めてびっこで歩き、大食と好色は度肝を抜いていた。
彼は明らかに誤った教育を受けたと思われ、その立ち振る舞いは人々に警戒の念を抱かせた。
快活で美女の誉れ高いブルターニュ公妃アンヌに言い寄り、彼女がオーストラリアのマクシミリアンと婚約しているにもかかわらず馬に載せて連れ去り、結婚してしまった。
このようなエピソードを持つ若者を軽視すべきでないことは周囲の誰もが警戒していた。
そんな気質のシャルルは機会があればいつでもアルプスを越えてイタリアに進軍する用意があったのである。


