フィレンツェ 散策 13
2009年12月05日
☆ロレンツォのパトロン活動
ロレンツォはことのほか輝かしい古典学者、作家、芸術家のサークルの人々と談笑するのを好み、別邸に集めては多くの時を過ごした。
コジモほどゆとりのなかったロレンツォはコジモが手がけたフィエゾレの大修道院など未完成のまま残したが、芸術家へのパトロン活動や、古書や絵画、彫刻などコレクションの拡大に努めている。
アンジェロ・ポリッツァーノ
ルイジ・プルチ
マルシリオ・フィッチーノ
ジュンティーレ・ヴェッキ
アントニオ・スカルチャル
フィリッピーノ・リッピ
ドメニコ・ギルランダイオ
サンドロ・ボッティチェッルリ
アントニオ・ポライオーロ
ギルランダイオ
ヴェロッキオ
レオナルド・ダ・ヴィンチ
ロレンツォに認められ、やはりメディチ家の保護を受ける
ミケランジェロ・ヴォナロッティ
メディチ家の一員としてロレンツォから熱い保護を受ける
ピサ大学、フィレンツェ大学への基金提供
ヨハネス・アンギュロプロス、 テオドロス・ガザ、 デメトリオス・カルコンヂュラスらの古典学者が壇を取り、唯一ギリシャ語が十分学べる大学としてヨーロッパ中から学生が集まった。
これらの学生がフィレンツェのモダンと文化とルネッサンスの思想を自国に持ち帰ることにより、ルネッサンスはヨーロッパ中に拡大し花開くことになった。
1492年 ロレンツォはこの世を去った。
この年、コロンブスが大航海に出港する。それは新しいヨーロッパの幕開けであった。
ローマではアレクサンデル6世が法王に就任、いよいよチェーザレが法王の名の下イタリア統一の野望を抱き、動き出す。
これよりメディチ家とフィレンツェ(トスカーナ)は暗黒の時代へと突入してゆくになる。
1494年、チェーザレの要請を受けたフランスシャルル8世のイタリア侵略でフィレンツェは主を失った失望と、主導者を欠く混乱から、簡単に都を明け渡すことになる。
そしてその後32年間メディチ家はフィレンツェから追放されることになるのだが、メディチ家はしたたかに再浮上の布石を打ちながら、じっと機を待つのである。
その苦しい立場にありながら、隠し財産を使い二人の法王を輩出し、その法王の命を受けたジョヴァンニ・ディ・メディチは北部前線ですさまじい戦いを続け、イタリアの名誉と同時にメディチ家の名誉をジワリ世に知らしめる活躍をするのである。


