フィレンツェ 散策 9
2009年10月17日
シクストゥス4世は思い通りにジローラモにイモラを与えると、今度はもう一人の甥ジョヴァンニ・デッラ・ロヴェーレが教皇にねだるがままに、領地拡大を画策。ジョヴァンニはローマの長官で、ピエモンテのモンドーヴィの領主だったが法王は甥の要求に答え、ロマーニャのウルビーノ公の長女との結婚を整え、ロマーニャはジョヴァンニの領土となったのである。
そして、さらに教皇はフィレンツェの前進基地チッタ・ディ・カステッロから領主ニッコロ・ヴィテッリの追い出しにかかり息のかかった者の管理下でフィレンツェに睨みを利かせようと画策。
これでフィレンツェと教皇は一発触発の状態になった。
ロレンツォはヴィテッリを救う為に6千の兵を集めチッタ・ディ・カステッロに援軍を送った。しかし強力な教皇軍に降伏を余儀なくされると、フィレンツェは領主ニッコロ・ヴィテッリを快く迎えたのである。
ローマの無謀で強引な圧力に対抗すべくロレンツォは、北イタリアの平和を維持する為フィレンツェ、ミラノ、ヴェネツィアの同盟を提案する、しかし教皇はこの同盟を教皇に対する敵対の表れとみなし、激怒する。
さらにかつてから同盟国であったナポリは、この同盟に何の相談も受けなかったとして不満を表明、ここで今まで不仲であった教皇との利害が一致し、ナポリは教皇の側に立つことになる。
1476年ミラノで、サン・ステファノ祭に当主ガレッツォ・マリア・スフォルツァが暗殺者の手によって死亡。一気に王位継承の内紛が起こり、ロレンツォはこれで援軍の望みが絶たれた。
一方フィレンツェでは、教皇の銀行としてローマで息を吹き返した反メディチ家の筆頭パッツィー家は、この期につけ込みフィレンツェの政権転覆を教皇にせまる。
フランチェスコ・ディ・パッツィーはまずかつて教皇の傭兵隊長であったモンテセッコを雇う。
教皇の甥の一人ジロラモ・リアーリオがこの話に乗る、ジロラモはピサの大司
教フランチェスコ・サルヴィアーティーに声をかける。
そしてジロラモとサルヴィアーティーはモンテセッコを教皇に引き合わせた。
教皇は野心家の金で動くモンテセッコを気に入り、「この頭の痛いフィレンツェ問題の早急の解決」を言い渡した。
「しかし、この件はロレンツォとジュリアーノ他関係者の死なくして達成できないと存じますが」
「愚か者めが、誰であろうと法王たる者、決して殺しは容認できぬ、ロレンツォが悪党であり、我らに悪をなすとしても、やつの死に同意を与えることは我らが役職に反する。ただロレンツォの失脚を強く望んでおる。」
「万全の注意を払いましょう、しかし万一の場合があります。」
「繰り返すぞ、私は心からこの変革を望んでおる、では行け、人殺し以外は何をしてもよろしい。必用であれば武装兵であれ、何であれあらゆる援助を惜しまぬ」


