フィレンツェ 散策 8

2009年10月10日

イル・マニフィコ ロレンツォ・ディ・メディチ登場

痛風のピエロは病気の悪化から早々に政界から引退を余儀なくされ、ロレンツォ・ディ・メディチが権力を受け継いだのは若干20歳であった。

強壮、頑健、聡明、エネルギッシュ、メディチ家当主の中で第1級の貴公子であり、およそ無骨ながら、人を捕らえて離さない物腰と、射抜くような黒い鋭い眼光は若輩ながら威光を放っていた。しかし才能豊かな当主の行く手には多くの苦難が待っていた。

まず第1に海外に手を広げた銀行が融資の焦げ付きで回収不能の事態が発生。また法王は権力を操作し私欲に走り、法王の名の下領土拡大に動き出す。その融資を当時ヨーロッパ1の大銀行メディチ家に頼むが、回収の見込みは端から当てにできなかった。

そしてフィレンツでは、ピエロの時代に発生した権力の転覆事件ははじわじわと再び動き始める。

 

まずローマでは新教皇シクストゥス4世が誕生し貧しい出身がなせる業なのか、近親に地位、金、土地、権力を与え続けた。統治には関心がなく、関係者の不満は金慢政策で懐柔したのである。

教皇の甥の一人であるピエロ・リアーリオにはどう見ても力不足にもかかわらず、コンスタティノープル大司教、聖アンブロシウス大修道院長、トレヴィーゾ、メンデ、スパラト、セニガッリア司教、そしてフィレンツェ大司教の座を次々と与え続けた。

もう一人の甥、ジロラモ・リアーリオも実に執拗に教皇にせびり続ける。肥満した粗野で乱暴な若者はイモラ(フィレンツェの北方)に目をつけた、ここを拠点にロマーニャに大きな教皇領土を築こうと提案したのである。

イモラは最近ミラノが買い取ったばかりであり、教皇はミラノ公の庶腹の娘カテリーナ・スフォルツァに眼をつけ、ジローラモと結婚させてイモラを買い取ることにした。

早速教皇はメディチ銀行にイモラを買い取る資金調達を依頼した。

ロレンツォは困惑した、なぜならイモラはフィレンツェにとっても重要な要所であり、ここを教皇の領地とされるとフィレンツェは北と南に挟み撃ちになってしまう。

もとよりロレンツォはイモラをフィレンツェに取り込み、守りを強化しようと考えていた矢先であった。

教皇はかつての友好関係など無きことのように、突然己の利益と近親への計らいに走りだし、しかもローマと法王庁の金庫番としてローマに尽くしたフィレンツに対して、心理を踏みにじる要求を押し付けてきたのである。

ロレンツォは事を荒立てないように、慎重に適当な理由で断ることにした。

しかしシクストゥス4世は執拗にロレンツォに融資を要求した。

そしてロレンツォが融資にこだわることに腹を立てて、何とかロレンツォを屈服させるべく策へと動き出す。

ここにメディチ家と敵対するパッツィー家と教皇の利害は一致し、パッツィー銀行に融資を依頼することによりロレンツォのローマからの締め出しが画策された。

パッツィー銀行は喜んで融資に応じ、教皇庁の会計はパッツィー家が請け合う事となり、メディチ銀行は法王庁からの撤退を余儀なくされたのである。