フィレンツェ 散策 1
2009年08月14日
フィレンツェを有するトスカーナを建国したエトルリア人の最古の居住後がエルバ島で発見された、推定紀元前9世紀とされる。
紀元前395年に古代ローマ軍はこの地に攻め入り、紀元前205年にトスカーナ全域はローマの支配下となった。
そしてカエサル=ジュリアス・シーザーによって発案された法案により、「5年以上勤めた退役軍人」と「3人の子を持つ無産者」の為にヨーロッパの各地にローマ殖民都市を築く計画の一つとして選ばれたこの街を「花の神の舞い降りる地=繁栄する都市」の意味を持つラテン語「フィオレンティーナ」と呼んだ。
中世に入り一時神聖ローマ帝国が支配したが、次第に中小貴族や商人からなる支配体制が発展し自治都市となってゆく。
近郊フィエゾレを獲得しフィレンツェはアルノ川がもたらす肥沃な平野全域を支配下に治めるべく動き出す。
遠隔地との交易に加え、毛織物業を中心とする製造業と金融業で莫大な富を蓄積しフィレンツェ共和国を設立して首都となり、人口10万人の都市に成長してゆく。
その14世紀には毛織物組合(ギルド)は3万人の労働者を抱え200の店舗を所有していたという。
金融業の中心にいたのがメディチ家である。
商人と銀行家は市政の指導的立場に立ち、ゴンファニャーレ=市政府長官として君臨してゆくことになるのである。
メディチ家が最初のゴンファニャーレを輩出したのは1296年アルディンゴ・ディ・メディチであり、5代目1412年ジョヴァンニ・ディ・ヴィッチ・ディ・メディチがゴンファニャーレに選出されると、実に控えめに敵を作らずに力を蓄え、やがてメディチ家を不動の地位に押し上げてゆく。


