フィレンツェ 散策 2
2009年08月19日
メディチ家の繁栄はイコール、フィレンツェの繁栄と言える。最盛期にはフィレンツェの通貨フローリンは全ヨーロッパで最も信用の高い通貨であり、メディチ家が稼ぎ出した年間360万フローリンは、当時のナポリの国家予算に匹敵したと歴史家は記録している。
ゴンファニャーレとなったジョヴァンニはしかし、数ヶ月で身を引き、その後は静かに精力的に事業に勤め、当時の勢力者アルヴィッツィー家が市政府を牛耳るに任せ、常に穏やかに反対以上の立場をとらなかった。明瞭な敵対には常に過酷な反撃が控えていたからである。ライバルは拘束され、追放、財産没収そして死刑があたりまえの時代の知恵であった。
そんな状況でも、フィレンツは豊かに確実にその領土を広げていった。
ピストイア、ヴォルテッラに続き、1351年ナポリ女王からプラートを支配下に入れた。
アレッツォに続き、1406年ピサとポルト・ピサーノを手に入れ海への通路を確保。1412年にはジェノヴァからリヴォルノを買い取り、港の確保でガレー船を保有し貿易業を開始する。
このことがフィレンツェ共和国の飛躍的な富雄の増大をもたらした。
海外からはイギリス、フランドル地方、またトスカーナの丘陵地帯から膨大な量の毛織物が流れ込み、仕上げ、染色され、再び輸出され交易は長く繁栄をもたらした。
ジョヴァンニはフィレンツの2つの毛織物工場の所有者であったが彼の関心は銀行にあった。市の銀行業が1252年に美しい金貨を発行した。この金貨は表に市の象徴である百合が、裏にはラテン語でフロオレンティアが刻印されており、54ゲレ(0.0648g)の純金を含み流通価値の増大と共に国際的信用を高めた。
これが有名なフィオリーノ金貨で『フロリン』と呼ばれ、急速に信用を獲得しヨーロッパの流通貨幣となった。1422年には2百万フロリン金貨が流通し、ポンテ・ヴェッキオ周辺には72の銀行家と手形仲介業者が営業していた。
この業者の中で、最も繁栄し、最も急速に業務を拡大したのがジョヴァンニ・ディ・ヴィッチ・ディ・メディチだった。すでにローマに支店を持っていたが、ヴェネチア、ジェノヴァ、ナポリ、ガエタに支店を拡大し、さらにジェノヴァ、ローマに第2支店、ブルージュ、ロンドンと取次店を確保していった。
ジョヴァンニの成功は毛織物取引の繁栄によるだけではなく、ローマ教皇との親交にもよっていた。
教皇ヨハネス23世への多額の献金によりジョヴァンニは教皇庁財務局との例外的に有利な関係を享受するようになったのである。


