「ここから先は通行禁止だ、道を変えろ。」
「何があった?」
「火事だ」
「どこで?」
「エノテーカ ピンキオーリだ」
「エノテーカ!!」
ふり返る運転手を制して、うなずいた。ここから歩けば2分、タクシーを降りて走った。すでに悲惨な姿を想像し、一瞬目の前が暗くなった。ギベリーナ通りは封鎖され、2台の消防車がある。
煙は見当たらない、焦げた強烈な臭いが鼻を突きはしたものの、よく見ると玄関や建物は損傷がない、しかし、ホースが地下に伸びている。
まさか、ワインセラーが?
「エノテーカの者だ」何度かそう叫び、建物に入った。
事務所で、ジョルジョとアニー夫人が盛んに電話をしている。
取り次ぐ島もなく、トンベリに聞くと、明け方の3時頃、誰かがワインセラーにガソリンらしき物を投げいれ火をつけたらしい。近所の通報で消防が出動し、オーナーであるジョルジョに電話が入った。ジョルジョはアニー夫人に全従業員に集合命令を頼み駆けつけたと言う。
ジョルジョは消防士の静止を振るきり、何度も地下への侵入を試みたと言う。
「お前たちでは解らない! 俺だけが知っている」
何度も何度もそう言って、消防士と掛け合った。
火はギベリーナ通りの真後ろの細い路地に面する、地下の空気取りの鉄格子から投げ入れられ、ちょうどイタリアワインの年代物の棚と、類稀なコニャックやアルマニャックの周辺が打撃を受けた。
幸いなことにフランスやイタリアを代表する特級品種はちょうどセラーの反対側、火の手から一番遠いところに貯蔵されていた為、熱の被害は全くなかった。
しかしセラーの1/3に当たる1万本は破裂、3万本はほぼ使用不可能と思われた。
消防署から地下への潜入を許されたのは午後2時を回っていた。
まずジョルジョの指示に従い、ジャンニ、トンベリ、アントニオが被害頻度A,B,C,Dを判別してゆく。
被害を受けないDはそのままに、まずCの洗浄から始まった。
Aは破棄、Bは50%可能性あり、Cは質の変化はないがラベルが煙で黒変している。
水で丁寧にラベルに注意しながら延々と墨を落とす。
「ハイ、サカマ、今日はヴェネツィアじゃないのか?」
カルロ・クラコが聞いてきた。
今ではミラノに自分の店を構え新しい料理に挑戦する新進気鋭の若きシェフである。
フランスでの修行が終わり、マルケージからエノテーカにやって来たのは私がまだフィレンツェで働いていた1992年の1月だったと思う。
「カルロ、何があったんだ、何か知ってるのか?」
「よくは解らない、でもジョルジョには心当たりがあるらしい」
「誰なんだ?」
「前任のシェフと言う噂だが、根拠はない」
「前任のシェフと言えば、アントニオか? 彼は今何をしている?」
「色々あったらしく、お父さんが昨年急死して、精神的にダメージが大きくこの業界を去って今はタクシーの運転手さ」
「ええっ!そりゃ気の毒だな、でもまさか!」
「誰にもわからん話だ」
何本洗ったのだろうか、結局その後4日間毎日セラーでワインのボトル洗浄に明け暮れ日本に帰国した。
とんだヴェネツィア会議となったものだが、その4日間は、毎日ワインのテースティングに明け暮れ、夕食時、ジョルジョは品質確認の為、被害はないと判断したフランスヴィンテージワインも開けられ、一大ワインテースティングイヴェントと化したのであった。