幻のヴェネツィア

2009年07月30日

ピッティー・パラスの朝食は質素であるが、楽しい。

パンはクロワッサン、ブリオッシュ、塩気のない独特のトスカーナパンなど6種類ほどが並び、フルーツは決して形の良くないバナナ、洋梨、リンゴ、オレンジ、この季節にベリー類はない。ペコリーノチーズとモルタデッラハムの盛り合わせは中央に置かれる。イチゴ、マーマレード、ブルーベリー、蜂蜜があり、数種類のヨーグルトが美味しそうだ。サラダ類やモッツァレッラ、卵料理は別注文となる故、テーブルにはない。

2種類のコーンフレークは朝食の定番である。

オレンジジュース、アップルジュース、ミルクにコーヒー、紅茶が用意されている。

私はまずオレンジジュースを2杯立て続けに飲み干し、ミルクを持ってテーブルに行く、パンを1つとヨーグルトにバナナと洋梨を取る。

ヨーグルトにバナナを切りいれ、洋梨も入れてたっぷりと食べる、牛乳を最低3杯は飲んでジョギングの後の身体を整える。

パンは私用ではない、そうスズメと鳩がほしがるのだ、こちらの鳥たちは友好的でスズメはテーブルにさえ上ってくる。従業員はあまり歓迎してないが客の特権であるとばかりに少しづつ、床を汚さないようにあげる事にしている。

これもフィレンツェの朝の恒例となりつつある。

「ボンジョルノ、シニョール サカマ。エノテーカ東京の調子はどうだ、ジョルジョとアニーは元気か?どのくらいいるんだ?」

すっかり顔なじみになって私も朝の情報交換の仲間入りだ。

「今日はこれからヴェネツィアに向かい、ルレ・エ・シャトーの会合が終わったらまた来るよ」

「そうか、じゃあまた後でな」

さて、部屋に戻り荷をまとめてチェックアウトをし、ロビーで迎えを待つとしよう。10時エノテーカを出発するといっていたから、普通ならここに9時45分、そしてエノテーカに向かい荷を乗せて出発だ。が、ここはイタリア、早くて10時だろう。

ところがすでに10時20分を過ぎても現れない。まあ、予想の範囲だから、待つことにした。

10時40分、電話も来ない、さすがにこれはおかしいと思い、すでにチックアウトを済ました後なのでフロントで電話を借りて連絡をした。

「ミスターサカマ、ユー シュッドゥ カム エノテーカ ナウ」

緊迫したアニー夫人の声に違和感を覚えながら、タクシーを呼んだ。タ

クシーが来るまでの15分、何があったのか想像がつかない、

アニー夫人は用件だけ言うと電話を切ってしまったからだ。

ただならぬ雰囲気だけが漂う。

幻のヴェネツィア

2009年07月11日

やはり5時半に目覚めた。

ホテルはピッティー・パラス、ポンテヴェッキオを渡りきると小さな広場Piazza

Feuciaが左手にあり、真っ直ぐguiccardini通りを行くと左手にピッティー宮殿が見えてくる。そんな広場の右手に小さなホテル、ピッティー・パラスは存在する。

ポンテ・ヴェッキオについて触れておこう。

世界でも最も有名な橋のひとつが、このポンテ・ヴェッキオです。イタリア語でPonteは橋、Vecchioは古いという意味ですが、その名の通り、1345年に完成したフィレンツェで最も古い橋です。

特徴は、橋の両サイドが商店街になっていて、古風で趣味の良い宝石店や金銀細工の専門店並び、魅力的な建築空間となっていること。

手の込んだ細工の品々が陳列され多くの観光客で賑わい、卓越したフィレンツの工芸伝統が今もしっかりと息づいていることを感じます。

またこの商店の上に重なるように連なるのは、「ヴァザーリの回廊」と呼ぶ廊下で、北側のヴェッキオ宮からウフィツィ美術館を経て、南側のピッティ宮殿まで続いています。
メディチ家のコジモ1世が、雑踏を避け、暗殺の危険を逃れるためヴァザーリに命じて1565年に作らせました。また美しい妻エレオノーラが病弱だった為、足しげく見舞う回廊でもあったようです。

 

少し早いが、起きることにした。

時間をかけてぬるいバスタブで目を閉じると、通りでゴミ収集車のカートリッジを持上げるウインチの音がし、掃除の様子が伺える。

いよいよ観光の街フィレンツの朝の顔が用意されている。

フィレンツでのジョギングコースはホテルからピッティー・パラスを通過し、ポルタ・ロマーナ門を出てニッコロ・マッキャベリ通りの高級住宅街の閑静な並木通りからミケランジェロ広場へと向かい、そこからアルノ河に下りて川沿いをホテルに帰るコース約4キロである。

ミケランジェロ広場ではしばしストレッチをしながら朝のフィレンツェを眺めるのが楽しみの一つです。川沿いのルンガルノ通りは8時には通勤ラッシュが始まり、バスや車、バイクに自転車様々に仕事に向かい人々は活気がある。

そして朝のバールは忙しい、カプチーノと甘いパンをほおばり、大げさなジェスチャーで店主と話している。

イタリアの2000年の情報交換の伝統である。

幻のヴェネツィア

2009年07月02日

確かあれは1994年の1115日であったと思う。エノテーカ ピンキオーリ東京をルレ・エ・シャトーのメンバーにすべくピンキオーリ夫妻は私にヴェネツィアでのルレ・エ・シャトー世界大会への出席を要望した。

前日の8:30pmにフィレンツェに到着した私は、早速エノテーカに顔を出し軽い食事と翌日からの打ち合わせを行った。

「おおっ!よく来たな。フライトはどうだった?」

「今回はANAのズリック経由できました、快適でしたよ」

「どうだ、今回はビジネスクラスで来たのか?」

「いやいや、エコノミーです」

 

ヴェネツィアまでは5時間見ておこう、パドバに友人の良い店があるから昼食を取って、6時にホテルに着くには10時にでれば間に合うだろう。私が明日ホテルでピックアップし一度エノテーカで荷物を載せて出発なので、朝の用意が出来たら連絡するから部屋で待機しなさい。

明日はジョルジョ、アニー、アントネッラと坂間の4人で行く事になった。

 

部屋に帰ったのはすでに12時を回っており、シャワーを浴びてすぐ眠ることにした。

私自身はあまり時差に影響を受けないのだが、ヨーロッパに着くと朝の目覚めは早い。朝5時には目覚める、日本時間でいえば午後の1時だから頷ける話である。

9時に朝食を食べて、チェックアウトをすればちょうど良い。

さて、あらかた荷作りをしてからジョギングに行こう。

11月中旬のフィレンツェの夜明けは遅い、7時を過ぎなければ明るくならない。

それに結構寒い。

日本の11月は秋たけなわだが、こちらは冬と言う表現が相応しい。

明日は冬のヴェネツィア、できれば夏が良いが、まあ、仕方がないか!!!