オリーブの話2

2009年05月27日

オリーブの話2

その成分はオレイン酸、リノール酸、リノレン酸、ポリフェノール、緑素、ビタミンAとEを含み、私たちの身体では作り出せない、生きる為に必須な、必須多可不飽和脂肪酸を多く含みます。

その含有量は他の油脂分の郡を抜き、オレイン酸35%、リノール酸11%に達し、これが不足すると、皮膚の乾燥、潰瘍の形成、毛や爪の育成障害が起こり、精神不安定や麻痺を引き起こすとされます。

エキストラ・ヴァージン・オイルはオイルではあるが、

ソテー用や揚げ物用ではありません。

食用としてのオリーブオイルには3種類あり、

1.              エキストラ・ヴァージン

2.              ファイン・ヴァージン

3.              セミファイン・ヴァージン

4.              ランパダ (食用ではなく工業用)

ソテーや揚げ物はファインあるいはセミファインを使用します。

エキストラ・ヴァージンはあくまでも生食用をおすすめいたします。

色は深いグリーンから薄黄緑で産地や種類により異なりますが、

香り高い風味を持ちます。

そのままスプーンで口に運べば、爽やかなオリーブの香りが広がり、

ミネラルが舌を刺激するでしょう。

オイルのイメージはなく、オリーブのエキスと言ったほうが正しい表現と思います。

エキスト・ラヴァージンのみがそのまま素材に振りかけて、

ソースやドレッシングの代わりとなります。

その他、動脈硬化を防ぎ心臓を守り、血栓が出来るのを防ぎ脳卒中を予防し、

コレステロールを制御してくれます。

イタリアでは毎朝一匙のエキストラ・ヴァージンオイル飲むのを習慣としている人々が大勢います。

その一匙はあなたの健康を守るかもしれません。

エキストラ ヴァージン オリーブ オイル

2009年05月16日

オリーブの話

ギリシャの詩人ホメロスはオリーブオイルを「液体の黄金」と呼んだ。

また「女神アテネの木」と崇められ、樹を痛めたものは謝罪を科すとの法律まで生み出しています。オリーブはシリア、メソポタミア、イスラエルに自生し、紀元前4000年頃本格的な栽培が始まったとされており、紀元前3000年頃クレタ島で栽培が始まり、その後ギリシャ人により、北アフリカ、シチリア、イタリア南部、プロヴァンス、マルセイユへと伝わってゆきました。

強力な国力を背景にローマ人は地中海一帯にオリーブ栽培を推し進め、16世紀の大航海時代に、オリーブは「女神アテネの木」として、スペイン、ポルトガル、中央アフリカ、中央アメリカ、カリフォルニアへと移植されたのです。

オリーブの生育条件は南北両半球の緯度25~45°の間で、日当たりがよく乾燥している事が必要とされる。

国際オリーブオイル協会の算定によれば、世界のオリーブ栽培面積は897万ヘクタールで栽培本数約82千本とされ、その98%が地中海沿岸で栽培されています。

しかもイタリア、スペイン、ギリシャで75%を占めています。

収穫は9月から2月に順次行われ、9月~10月は食用の青い実で、その後熟して黒紫になれば食用と、オイル用となる。トスカーナではオイル用の収穫は11月~1月に行われる。

品種は500種類と言われ、各地で様々な品種が栽培されています。

収穫は1.手摘み 2.地表採取 3.ミキシング 4.ビーティング 5.機械収穫とあるがエキスト・ラヴァージン・オイル用には、当然首に吊るした袋に手摘みで収穫する手間のかかる方法が最適で、それ以外は食用の収穫方法となる。

採取されたオリーブは洗浄され、直ちに圧搾にかけられます。

圧搾は白臼を使用するが、粉を挽く時のように平面をすり合わせて圧搾するのではなく、下は平面で上は垂直の臼が円を描くように回りながら圧搾してゆく。

そのペーストを円形のマットに均一に広げ、100枚ほどを重ね高い圧力で搾る。

この時決して温度の変化をさせないため、採取したエキスには油脂分のほかに多くのミネラル成分が含まれる。これを遠心分離機にかけ、オリーブオイルを抽出する。

この最初のオイルを、エキストラ・ヴァージン・オイルと称する。

1825年かの有名な食通ブリア・サバランはその著書「味覚の生理学」でこう述べています。

  清流で1尾の鱒が手に入った時は、忘れずに最高のオリーブ油で揚げなさい。

  簡単な料理ですが、これにレモンをかければ、枢機卿に出しても恥ずかしく

  ない逸品になります。

この簡潔な文章ほど、オリーブ油の価値を表現している物はないでしょう。

パスタ

2009年05月09日

さて皆様はよくイタリア料理店にいかれて、「プリモピアット」「セコンドピアット」と書かれたメニューをご覧になったことと思います。

訳せばプリモピアッとは最初の料理、セコンドピアットは第二の料理、となるわけですが、実はこれには深いわけがある。

ことの始まりはパスタが爆発的に流行した1800年代の終わりに端を発する。

すでにご存知の通り、ナポリでトマトのスパゲッティーが開発されて以来、新しいパスタの開発はわが町、わが村そして我が家でと盛んにアイデアが出されてゆくことになる。

各家々やレストランでは、お客様に最高のパスタを食べてもらうことが最も大事な食事のポイントとなった。美味しいパスタを出す為に、その時間から逆算してパスタをこねて、なじむように寝かせて、整形をし、茹でる。どこまでを仕込みとし、どこからを実際のディナーで行うかは家々やレストランによって様々だが、整形をし、茹でるには最低40分は必要となる計算である。

従って、来客があってから、おつまみと共に食前酒を飲み、ワインと共に前菜を食べ、あるときは前菜を数種食べ、やがて出来たてのパスタが登場する。これこそが最大のショーであり、人々はこのパスタの出来を吟味し、料理の出来を評価するのである。

パスタより以前に登場する数々の料理はパスタを待つための料理であって、パスタこそが正に第一の料理「プリモピアット」なのである。

そして、次に魚料理が出ても肉料理が出ても、あるいはその両方がでても、パスタの次の料理つまり「セコンドピアット」なのである。

こうした習慣は、貴族社会が崩壊し、地元の料理が栄えてトラットリアで採用された。

私はここにイタリア人のパスタへの拘りを感じている。

美味しいパスタは片手間では出来ない、しっかりと茹で加減1点で捕らえて、ソースと合わせるが、しっかりと合わせないとパスタとソースが分離し一体感が出ない。

かなり神経を集中させなければ優れた1品は出来ないのである。

不味いパスタを出したら、イタリア人失格なのである。

食の行方

2009年05月01日

多くの偉大な料理人たちは想像力を駆使し、自ら料理の可能性の限界に挑んでいます。その挑戦は、調理法の開発から、1皿に表現する盛り付けのアートまで様々に感性を披露しています。

40席のレストランの厨房に60名もの調理人が一皿の完成に神経を研ぎ澄ます技はしかし、料理を作るには行き過ぎたようだが。それを許す時代もあれば、残念ながら許さぬ時代もあるだろう。

一組だけ、心を込めて料理を作る、それならばどの時代でも許されるかもしれないのだが。

この料理の行方はいったいどこへ行くのだろうか?

フェラン・アドリエは様々な諸条件をクリアし、どこまで開発を維持するのだろか?

実に興味を持って見守りたいと思う一人です。

さて、このような新しい料理が吹き荒れる中で、比較的穏やかに受け止めたのはイタリア料理ではないだろうか? 実は当オーナーのジョルジョ氏はフェラン氏の料理を高く評価する一人で、毎年開発される料理のテーマに合わせ訪れているが、自らのレシピに繁栄させることはない。

どんな時代でも、やはりアモーレ、マンジャーレ、カンターレの精神は大いに食べて愛を語り合うのだろう。ジャーナリストや一部の上流階級が時代を先取りしても、イタリアの庶民は一向に動じない。

自分たちの楽しみ方は自分たちで決めるらしい。

行き過ぎた表現を好まず、過度に飾りつけることもなく、伝統の延長線上から今の時代を表現する。

一見、今の流行から乖離するかのような道程だが、実はわがオーナーはやがて二つは一つになると確信している。長い歴史を見てきた彼らの予見なのか?それとも自信なのだろうか?

今のところ、その答えは見出せない。

少なくとも、エノテーカ ピンキオーリの料理は忠実に素材の持ち味とそれらを最大に生かす調理方法で新しさを表現している。

どの時代に、どの国の料理人が最先端を走るのかは結果が明らかだが、誰もがその料理に向かうわけではない。イタリア料理が伝統を重んじその精神を守ることに、誰もノーとは言えないのだから。

嗜好は限りなく増えて、やがて自らの裁量の範囲で決めてゆくのだろう。