料理の行方

2009年04月25日

フランスにヌーベルキュイジーヌが誕生したのは、日本料理がきっかけであったのは間違いありませんが、根底には人々の生活様式や価値観の進化がもたらした必要な変化であったと思う。

「成功者は太り気味である」この価値観が変わり、「成功者は自らの体も管理する」となった。

食事の時間も短縮された為、全体に少量になり消化の良い物が好まれる時代と変わったのでした。

あらためて、「食と健康」がテーマとなり、医食同源から始まった食文化は、再びそのテーマを挙げることになったのです。そして世界がグローバル化することで各国の食材や、独特の調理方法が築き上げた伝統の料理に取り入れられ、新しい料理が誕生してゆきました。

有名シェフたちは「フュージョンー融合」と言う言葉を嫌います。ただ取り入れたのではない、

完全に認知した上で、自分なりの方法でレシピの研究をしたからです。

様々な味を絡めあって完成した味を作る伝統から、別々の味を独立させて、その風味や味わいを確認しながら、食べる行為によって味の変化を楽しむ方法へと変化してゆきました。

レストランに行けば、メニューがあり、食材と調理方法が紹介されている、したがって誰もが何をどのように調理するのか、おおよその見当がついて、想像が脳を動かし「これが美味しそうだ」

と注文の指令を出す。そして感動は想像を超えた盛り方や、味や、組み合わがもたらした。

ところが近年の感動は少々意味合いを変えて、「驚きの感動」でなければ感動しなくなったようだ。何事も人の要求と欲求は高まってゆくらしい。

美味しさと美しさを完成させたのがロブッション氏であるならば驚きを与えたのはスペインが生んだ英雄フェラン・アドリエ氏であると思う。詳しい説明は読者がすでにご存知と思い省略させて頂きますが、素材を科学で分解することで極限の味を引き出す、又は異質な物に変化させる、

と言えましょうか。アルギン酸ナトリウム、塩化カルシウム水溶液、亜酸化窒素、液体窒素などを調理技術に取り入れる。その結果、アイスボールの中に熱いムースが存在する、こんな料理が生み出された。これをロブッション氏が高く評価したことで「新しい世界料理」つまり各国のジャンルを超えた料理としてジャーナリストが扱い、3つ星の評価を得て、世界中の支持を得たのでした。イギリスのヘストン・ブルーメンタール氏もこれに続き、世界のシェフは驚愕しました。

 

食の行方

2009年04月16日

食の行方

世界の各国に独自の料理が存在し、脈々と歴史を刻んでいる。それぞれの人類の発達と共に食文化も同様に進化していった。中でも世界中の人々が愛するイタリア料理、フランス料理、中華料理、日本料理は世界4大料理と言える。スペイン料理を加えるかどうかは皆さまの判断にお任せするが、中でもフランス料理が常に新しい料理に挑戦をしているように思う。

美食フランス料理はルーツイタリア料理をはるかに超えて、その完成度は世界が認めている。

エスコフィエは伝統料理に革新を加え時代と共に進化させ、次世代のフェルナン・ポワン達はさらに改革に意欲を見せている。そしてポール・ボキューズに受け継がれる。

そして、ポール・ボキューズ、トロワグロ達は日本にその技術の伝道を依頼されて来日する。それは、ポール・ボキューズにとって衝撃的な日本料理との出会いであった。

ある日、ルレ・エ・シャトーの会合の夕食会で、ジョルジュ・ブランと同席したことがある。彼はウィットにとんだ人物で、実によく話し、人を笑わせる。ある種天才的でもある彼の話にポール・ボキューズとヌーベル・キュイジーヌが出てきた。笑わせることが目的だから、少々事実を逸脱し、過大解釈はご容赦願い、言葉に忠実にご紹介するとしよう。

 「1969年頃、辻静雄さんがやって来て、ポール・ボキューズに尋ねた。ボキュ  

  ーズさん、是非日本に来てムッシューの技術を指導してくれないか、日本のフラ

  ンス料理はまだまだ遅れていて、第一、正式にフランス理と呼べる物がない。お

  願いできないだろうか?そこでポール・ボキューズは日本のことを調べることに

  した。そして手にた本には刀を差した侍の写真があって、食事は汁とメザシ2本

  とタクワンであった。

感想は"凄いところだな、教えても解るかな"であった。しかしあまりにも丁寧  

で熱の入った誘いであったから、承諾はしたが一人では怖くてトロワグロにも声

をかけた。

こうして恐る恐る日本の地を踏んだのであった。でも着いてみてビックリしたの

でした、近代的なビルの東京は、ニューヨークで味わった近代国家の華やかさを

備えていたのである。自分の不勉強はさておき、安堵したポール・ボキューズは

心が軽くなった気がした。そしてその夜吉兆に招かれた。。ここからがポール・

ボキューズの真骨頂である。

出てきた料理は36種類、小さな料理だけど、そのプレゼンテーションには唖然

とした。きれいにナイフを入れられた魚、色鮮やかな野菜は歯ごたえ豊で、こう

することにより野菜一つ一つの風味が際立ち、だいいち食感がいい。塩味は少々

不満だが今まで味わったことのないスープは実に深い味がする。調理方法も実に

多岐にわたる、煮る、焼く、蒸す、茹でる、揚げる、生とコースに全ての調理が

披露されて、しかも油脂分は素材に含まれるのみで、こんなに軽い料理は今まで

に食べたことがない。胃は満たされるのに、実に爽やかである。

特に器が素晴らしい、素材と調理方法により様々な形と色合いが一層に料理を引き立てている。こうして。ポール・ボキューズは瞬時にひらめきをメモした。

徹底的に軽い料理の追及

料理に合わせた食器の選択

こうしてポール・ボキューズやトロワグロから新しい料理が誕生した。

ゴー・エ・ミヨはこれを「ヌーベル・キュイジーヌ」と呼んだのである。」

思い出の出来事3

2009年04月12日

私の楽しみの1つは季節の移ろいとその表情を観察することである。

田園調布の銀杏の並木は、暖冬のせいか、12月を過ぎて最後の葉を落とす。傍らの山茶花はすでに花を咲かせ、木枯らしもこの花にはいささかてこずっているように見える。
そういえば最近はめっきり雪が少なくなった。以前はこの坂道をたっぷり雪が積もり、スキーを持ち出した人々も見えたのに。何度も夜半に足を滑らせて帰った記憶がよみがえる。

私の家の近くに等々力渓谷から流れる小川(と呼ぶには少々きれい過ぎるが)がありそのほとりに1本の彼岸桜がある。決まって12月に花を咲かせ、散るのはソメイヨシノと一緒、つまり4ヶ月以上もほろはらと寒風の中咲いているのである。華やかな咲き方ではないが、毎年私に何かを伝えてくれる。

私のイメージでは、1月、お正月を迎えると、急に太陽が明るくなるような気がしている。

東京の冬は茶色一色ではない。あちこちでたくましく青々と葉を茂らせた草花がある。

タンポポもクローバーも冬に姿を隠すこともなくなって、花を持つタンポポもあるほどだ。多摩川の変化は近年、大根と菜の花が群生したことだ。ピリッと辛い島大根は根こそ大きくはなく繁殖力はきわめて強い、ここ数年でかわらを埋め尽くすほどの勢いに、冬景色は変わり行く。

2月半ば、河津桜の便りが春をはこぶ頃、梅が咲き始める。日没は5時を過ぎて、急激に春の足音が近づくのを感じる。

「グワ、グワ、グワっと、騒がしく冬を過ごした鴨達も間もなく北へと飛び立ってゆく。そうしてどんよりと流れの重かった川面では光を反射して、幾分か、流れが軽やかな音をたて始める。

この川部ではまた、様々な鳥たちが生息している。代表は定着し渡りを忘れた鴨のつがいだろう。

鷺は青鷺が精悍だ、数は白鷺に劣るが威風堂々としている。カモメは定期的に海とこのあたりを行ったりきたりしている。目当ては「カモメの叔父さん」、どこからか食パンの耳を大量に仕入れ毎朝散歩の傍らカモメに餌付けしたのだ。

カモメの飛び方はなぜかグライダーに似ていて、優雅に舞う。そして最近、鵜の群集がやってくる。鵜は厄介だ、もぐって魚を取るから、鷺は手に負えない、片足を上げゆっくりと静かに漁場に陣取り、じーっと魚が来るのを待っているところに、鵜が水中をかき回すから、さっぱり魚が取れない。

この招かざる珍客に腹を立てた鷺が逆襲をする。何時もは単独行動し、縄張りを張る鷺たちも誰かの合図であちらからも、こちらからも、どこにこんなにいたのかと思うほどの鷺が集まり、片側に陣取る、そしていっせいに鵜たちに攻撃を仕掛ける。鋭い鷺のくちばし攻撃に、鵜は水中にもぐりかく乱戦術に出るが、結局鷺の攻撃が勝り、鵜たちは去ってゆくが、決して懲りたのではない、風物詩のように結構繰り返されているのだ。

カラスはその点頭がいい、人様の食べ物はよほど気に入っているのか、面倒な漁などには興味がないようで、水を飲む以外は鷺を怒らせることはしない。

このカラスに悩む野良猫たちがいる。

思い出の出来事3

2009年04月12日

思い出の出来事2

2009年04月04日

アメリカから帰国し、以来18年間紅茶党として一切コーヒーから遠ざかっていた私がイタリア研修である。あれはピサ空港であったと思う、プレゼンテーションでデザイナーとフィレンツェに向かう空港でエスプレッソを飲むことになった。

少々気が引けたが砂糖を入れて勇気を出して飲んでみた。

結果は胃に痛みは全く感じず、まったりとしたカカオのような風味が、まろやかに喉から湧き上がり、コーヒーとは異なるものだと実感した。また日本で飲んだ事のあるエスプレッソとも全く異質の物であった。それ以来私はエスプレッソだけは受け入れるようになり、やがてコーヒーもまた飲めるようになっていった。

いったい、コーヒーとエスップレッソとどのような違いがあるのだろうか?

皆様もご存知のようにコーヒーの入れ方には様々な方法が存在するが、旨みと風味を保つには当然挽きたてを入れるに限る。サイホンで湯に混ぜるか、ドリップで湯の圧力で落とすか、それぞれに一定の時間をかけて抽出するが、この抽出の時間に出来上がるコーヒー及びエスプレッソに含まれる成分に違いが出てくる。

コーヒーの成分はたんぱく質、油分、粗繊維、カフェイン、タンニン、有機酸、ミネラルです。

私がエスプレッソを受け入れたのはおそらく、カフェインと有機酸の影響ではないかと分析する。

エスプレッソはきわめて合理的でコーヒーを魔法のようにクリーミーに変える魔術師のようだと思う。イタリアの豆はアフリカ産が多く南アメリカ(ブラジル、コロンビア)に比べると小粒である。一般的に言われるエスプレッソの焙煎は濃いと言われますが、私が持ち帰り分析したところイタリアのエスプレッソの焙煎濃度は日本の一般的なコーヒーの焙煎とほとんど変わりませんでした。そこで日本にある豆で同等の焙煎でエスプレッソを試したら、非常に酸味の強い飲める品質ではありませんでした。結論を申し上げますと。日本で美味しいエスプレッソエを飲もうとしたら、イタリアから豆を取り寄せなければ不可能と言うことです。

エスプレッソは、備え付けのミールで挽く、そして9気圧の圧縮蒸気で一気に旨み成分だけを抽出する。一瞬ですから雑味成分が溶け込まない。残念ながらカフェインは時間が少ない分他のコーヒーに比べれば少なくなるが、素晴らしい副産物がついてくる。あのクリーミーな泡である。

豆には主として二酸化炭素の気体成分が含まれていますが、圧力をかければそれだけ多くの二酸化炭素が液体に溶け込み、それがクレマと呼ばれる魔法の泡を作り出すのです。

また含有する有機酸も抽出時間が短い為、酸化をしない。カフェインと酸化この2つが、アメリカでヒーターの上に置かれた煮詰まり、極度に酸化したコーヒーに拒否反応を示した私の体から

再びコーヒーを受け入れるよう導いてくれたのだと思う。

もし皆さん、エスプレッソは濃くて苦いコーヒーと思っていらっしゃる方がいましたら、一度エノテーカ ピンキオーリにお越しください。絶対にエスプレッソの概念を変えて見せましょう。

クリーミーでまろやかに香り、

濃縮感はカカオの深みを与え、

喉越しはきわめて柔らかく、

琥珀の液体は貴品に満ちている。

一口が与える感動は、

貴方の夢の扉を開けてくれる。

それが、エスプレッソです。