エノテーカ ピンキオーリ誕生のエピソード-31-

2009年03月06日

ヨーロッパの貴族社会は国を超えて血縁を広げ勢力分布を拡大してきた、ローマ史依頼ヨーロッパの勢力の構図である。2000年前に始まるローマの食文化はしたがってヨーロッパの食文化の始まりと言って過言ではない。一例を挙げればラテン語「アキピウスの料理」はフランスでは「アピシュウスの料理」として今に伝える、いわばフランス料理の元祖とあがめる。

したがって16世紀にカテリーナがフランスに伝えた料理は、近代フランス料理の始まりではないとするのが見解のようだ。だが事実としてメディチ家より鴨のオレンジソース、アイスクリームは伝わり、ナイフとフォークの文化が始まった。オーブンが持ってゆかれ、ガラス工芸はバカラを生み出し、陶器はリモージュを生み出したのです。

 

ではイタリアを代表する「パスタ」はなぜフランスに伝わらなかったのだろうか?

 

そもそもパスタの歴史は、ローマ時代にパンが焼かれる前から存在し、ローマの庶民を支えてきた。

ギリシャの民族が、増えすぎた人口を移民させる為に開拓した新しい都市「ネオポリス」はナポリとして栄、ここを拠点に地中海中に海運は発展して行った、その船乗りの食料として開発されたパスタはナポリの代表的産物であった。

まずデュラル小麦が生産に適していた事、そしてヴェスビオ火山から吹き降ろす乾燥した空気がパスタの製造の好条件となったことだろう。しかしパスタはあくまでも主食の一種で、茹でてオリーブ油をかけて食べる。日本の「ご飯の」ようにパスタの存在は主食であり、現在のような料理の位置づけではなかったのである。しかしナポリ発のパスタは海運の発達と共にイタリア各地の港から内陸へと浸透して行きました。ローマより北の地域ではデュラル小麦が生産できないため、手打ちパスタが開発されてゆきました。時々パスタもご馳走に変わるときがありました、貧しい一家が飼っていた鳥を煮込んだ料理が夕食に出された翌日、わずかな肉片と野菜の中にパスタを入れて、きれいにたいらげるのであるが、けっこうこれは皆の人気商品であった、そうは言っても肝心の鶏がめったに食べられない。日本で言えば、鍋物の後の雑炊に似ているが、それを料理というにははばかりました。

パスタが料理として誕生するには、トマトの出現まで待たなければならなかったのでした。

えっ!ではトマトはイタリアになかったのですか?

そうです。トマトの原産は南アメリカ、カリブの島々や、チリが原産でした。

金を探しに言ったコロンブスが「大地の黄金 ポモドーロ」を持ち帰るわけですが、ヨーロッパに着いたトマトは悪魔の食べ物として、法王庁から食用禁止の迫害を受けることになります。

そのことが、ヨーロッパのトマトの普及に空白の200年を生むことになるのです。