エノテーカ ピンキオーリ誕生のエピソード-30-

2009年02月27日

世の中が変わり始めた。

誰もがイタリアに関心を持ち、芸術の遺産をむさぼり始め。パスタは庶民の食べ物でその昔、貴族の館では誠に貴重な食材が見事に料理され贅を極められたとか。そんな話が電車の中で交わされている。

私の書庫に何度も読み返し、イタリア文化の足がかりとなった1冊の本があります。エノテーカ ピンキオーリをまさしく最後の審判で地獄から天国に引き上げていただいた「システィーナのミケランジェロ」である。日本テレビの青木昭様がお食事にいらして、直接手渡されたのをいつも思い出します。何気なく頂き、間もなく日本テレビで「システィーナ礼拝堂の修復のドキュメンタリー」をやるから見て下さいと言われました。高視聴率を稼いだ、素晴らしい番組でした。

 

見上げれば 神の国 ミケランジェロ

システィーナ礼拝堂は、ミケランジェロによって創出された

壮大なキリスト教宇宙図によって見るものを圧倒せずにはおかない。

「神のごときミケランジェロ」と人々は語り継ぐ。

1994年、13年間に及ぶ天井画、祭壇画の全面修復が終わり、

信じがたい画面が500年の汚れのベールの下から現れた。  ≪同書より≫

 

それは画家ミケランジェロの美術史における評価を根底から覆すほど才能に秀でた技の再発見となったのです。うわさは巷に広がり、イタリアの文化の深さが全国津々浦々に行き渡ったのでした。と同時に映し出されるローマの風景や各地の都市から多くの食文化も同時に配信され、放映された2年後には日本に一大イタリアブームが沸き起こったのです。多くのホテルさえもメインダイニングをフランス料理からイタリア料理に変えてブームを取り入れました。こうしてエノテーカ ピンキオーリではビールを注文する人が減少し、ワインブームも到来する。ミケランジェロが生きた時代を内装の手本としたエノテーカ ピンキオーリはイタリアの文化と食事を味わう最も相応しい場所として、連日人々が押し寄せました。イタリアワインも劇的に変化をしてゆきました。新しいタイプのワインが次々と現われ、それまでのイタリアワインの常識を変えて、旋風のごとく日本中を駆け巡りました。

青木様、本当にありがとうございました。

エノテーカ ピンキオーリ誕生のエピソード-29-

2009年02月21日

そして、あっという間に17年の歳月が過ぎてゆく。

ふり返れば開店後3年間は本当に苦しい時でした。イタリア料理が認知されない日々が続きました。コースで提供するイタリア料理に拒否反応するお客様が相次ぎ、希望するオーダーに四苦八苦したのを思い出します。しばらくメニューを見た後で

「メニューにはないようだけど、生ハムと何か前菜を盛り合わせにして、スパゲッティーをもらおうか」「あっ、それからビールは何がある?」

今では「よくビールを提供せずに17年間ワインを売り続けたものだよ」と半ばあきらめの冗談を言われますが、当時は「ないのなら、買って来い、いくらでもあるだろう」としかられ、多くのお客様が席を立ち帰る空しさを味わいました。

つくづくオーナーのジョルジョ氏とアニー夫人の強い意思がなければ、あの逆境の中で信念を通すことは出来なかったと思う。日本料理はすばらしく、日本人の味覚は世界でもトップクラスと認めるオーナー夫妻も、だからこそ日本人に合わせた料理でなく「イタリア料理その物」を提供することに意味があると主張して譲らない。時代と共に世界は情報であふれ、食文化もまた融合され「フュージョン」と言う新しい料理が誕生する、これも新しい食文化として認める中で、「かたくなに守る食文化」も必要なのだとジョルジョとアニーは語る。イタリア人の誇りとして後世に伝えるべきは「流行に流され伝統を忘れる、こうあってはならない」事だと言う。

新しい料理=美味しい料理なのだろうか? 驚きの料理=美味しい料理なのだろうか?

素材が最も美味しい時に、最も適した調理方法で料理する、ならば必然的に季節が強調される。

季節はまた人々に身体が要求するシグナルを送るが故に、美味いと感じる。

これが美味い物を食べるコツであり、摂理であり、道理である。

この自然の摂理に身を委ねればこそ、美味い物を食べた喜びが増すのではないだろうか。

こんな頑なな姿勢が、やがて大きく花開く時がやってくるのです。

エノテーカ ピンキオーリ誕生のエピソード-28-

2009年02月12日

1992年2月5日、私のイタリア研修は終わりいよいよ帰国して3月18日の開店に備える時が来ました。本当にあっという間に月日が過ぎて私の体重は7キロ減となり、かなり見栄えが良くなった(大満足)。

イタリア料理は実に奥深い、たどればローマ時代に遡る。

マルクス・ガイウス・アピキウス

カエサル以後、クラウディウス家の皇帝時代の豊かな時代に生き、貴族院出身だが政治に興味を持たない趣味人,文化人のこの人物が様々な素材の組み合わせから膨大なレシピを開発し偉大な料理本を出版しのです。

イタリアを統一し、カルタゴ(現北部アフリカ)、スペイン、ガリア(現南部フランス)を属国に収めるローマ帝国はその属国からオリーブ油、穀物、小麦粉、香辛料(特にコショー)、ワイン、陶器、ランプ、ガラス製品、金,銀製品、絹織物、野生動物、特筆すべきはピレネーからの雪が高級官僚に送られ豊かな食糧や生活用品が生活様式を変え,食文化を一気に引き上げたことだろう。

人々は夜明けと供に働き、食事は1日2食、夕食は7時に始まり夜中まで続く。延々と飲み食べる。

その食事方法はコの字型の3方の台(トリクリニウム)に3人が寝転ぶように厳格に決めており、一人だけ招待客の同伴が許されていた。基本的に3名ずつの9名を1ユニットとしテーブル数が決められる。3卓をコの字形にセットし、開いた方からワインや料理サービスされる。

寝転んで食べる、これが高尚なマナーであり、卓にはナイフ、スプーン、ひしゃく、爪楊枝がセッティングされる。飲み物はワインで食前酒は蜂蜜やヨモギエキスなどで割られる、食事中は水かお湯で割られ、どの地方のワインをどの程度に割るかが飲み物担当のテクニックでソムリエはここから始まる。食事の内容はと言えば、これがビックリである。レシピだけ見れば十分に現在でも通用するのである。一端を紹介すると、「トリフのこんがり焼き」形のそろったトリフを5つ串に刺し、バターでゆっくりと焼き上げる。今では勇気のいる料理であるが、味はともかく凄い料理である。「フォアグラのソテー」十分に肥沃した鴨のフォアグラをソテーし、イチジクのソテーと共に食す。鴨をイスに縛りつけ、乾燥イチジク(当時は砂糖の代わりに使用)をたらふく食べさせて2000年前のローマでこの高級食材が開発されたとは知るに値する事実である。ピレネーから運ばれた雪は地下の室に安置され、冷蔵庫となり夏でも美味しい食材が保存され、その雪はまた生牡蠣の下に敷かれて料理を演出したのである。シーザーは8月24日に要人を招いた晩餐会のメニューで紹介している。ローマの夏に雪が食卓にでる、底知れない権力の誇示にはこの上ない贅沢品であろう。

その後キリスト教による抑圧された時代は、これと言って料理の開発記録はないが、ルネサンスに入りその中心地フィレンツのメディチ家で、海外貿易から入る様々な調理器具や食器ガラス工芸と共に新しい香料や食材が新たな料理の開発へと進ませ、やがてオーブンの開発にたどり着くと、調理の幅は拡大され、より美味しい物が短時間で出来るようになり、同時に新しいレシピが次々と開発されてゆく。

この時、「鴨のオレンジソース煮」がメディチ家で誕生する。それはカテリーナのレシピであり、フランス王子アンリ2世に嫁ぐことでフランスにもたらされたのは、すでにご存知のことであろう。その父フランス王フランソワ1世はまた、フランスにルネサンスを根付かせようとレオナルド・ダ・ヴィンチを屋敷に住ませその深い知識に耳を傾けた。ひっそりとダヴィンチが息を引き取ると。そこに残されたのは最後まで手放すことのなかった1枚の絵「モナリザの微笑である」

どこからイタリア料理を語ればよいのか、途方もない資料の山である。そんなイタリア料理を引っさげて

いよいよ銀座にオープンする。・・・・1982年3月18日・・・・開店

エノテーカ ピンキオーリ誕生のエピソード-27-

2009年02月05日

フィレンツェと言う街には、こんなにも世界中から人が押し寄せるのか連日満席の日々が続く。そのエネルギッシュな光景は、なるほどこの偉大な遺産を持つイタリア人を、誇り高い気質と陽気な姿に変えてゆくのだろうと思う。

連日くたくたになるまで働き、日曜日は決まってジョルジョ氏が皆をつれて郊外のレストランに食事に行く。ジョルジョ氏もアニー夫人も日曜は午後には出勤し仕事をしている。いったい何時休むのだろうと気になる。シエナに程近い街道の脇にそのレストランはあった。正確にはトラットリアというべきだろう。10台ほどのパーキングスペースは庭の一部を使っており、様々な木々が生い茂る。

少し暗い入り口にバーカウンターがあり、似合わないピカピカのエスプレッソマシーンが目を引いている。正面には暖炉があり、シュミネとなっておりおそらくグリルが目玉のメニューであろう。

少し猫背の初老のおばあちゃんが出迎える。「ジョルジョ」「おー、アニー」と言って、泣かんばかりにしがみつく。見たところ本当に地方に根ざしたトラットリアのようだ。トスカーナ独特の皮の厚い、少しボソッとしたパンが大きな籠に山のように運ばれる。オリーブ、ラルド、生ハム、ブルスケッタが運ばれて、私は始めてラルドを口にした。オリーブオイルをたっぷりつけて呆ばると、このパンが魔法のように美味しくなる。最後に粉の香りがより戻り、素朴なパンは正に食事をする為にたどり着いた追求の結果なのだと知らされる。

ラルド、見れば豚の背脂の塊である、良くこんな物が食べれるなと、顔をしかめたら、アニー夫人に一括された。これは脂ではない。イタリアで豚の脂は「ストゥルット」と言い、ラルドは脂の意味ではないと言う。ラルドとは「ラルド・コロンナート・イン・コンカ」、海塩を打ち、ニンニク、シナモン、コリアンダー、ナツメグ、丁子、八角、オレガノ、セージなどの香辛料をたっぷりとすりこみ、かのミケランジェロが切り出した大理石の産地、カッラーラの大理石の槽に並べ10ヶ月以上熟成させた物である。すると、この動物性の油脂分はなんとコレステロール0の必須アミノ酸に変わると言うから、ビックリである。そうと知れば健康のために好んで食べるのがうれしいではないか。熱々のリッボリータや数々のパスタ、そして「アックアコッタ」がはこばれた。これこそが今日のメインのお話。まだジョルジョ氏がアニー夫人とワインバーを始めた頃、色々なレシピを参考にする為、毎週日曜日にここに訪れて「マンマローザのレシピ」を教わったと言う。パンの焼き方から、パスタの打ち方、豆料理、卵料理、などなど、そして鶏のブイヨンで野菜を煮込んで最後に卵の黄身だけ落とし、チーズをたっぷりかけたスープ「アクアコッタ」だ、そのアクアコッタはマンマが運んできた。懐かしそうに二人を身で、大きくなったわが子のように時々こうして会うのを楽しみにしているのだという、ジョルジョは取って置きのワインをお土産に持ってきていた。

何と誰が何を言っているのかさっぱり解らないほどに賑やかで、マンマローザも今日は酔っ払いだ。

カンパーイ!