エノテーカ ピンキオーリ誕生のエピソード-25-

2009年01月24日

まだ私はシエスタの存在を知らなかった。イタリアの特に夏は、皆午後の1時から4時まで昼食と昼寝の時間であった。昼寝はストレス解消、健康の両面から大変に優れていると言うが、食べた後の睡眠は果たして良いのか少々疑問の残るところだ。今では街でお土産屋を営む人々は、このシエスタ廃止論者である、観光客は昼寝をしないし、シエスタをはさんで労働拘束時間は長いし、いっそのこと無いほうがよいという訳だ。かくして私も隅っこで昼寝をすることになった。3時を回ったところで男4人はトラックに乗って15分ほどの村のバールに着いた。小さな教会があり2段になった教会前の広場の隅にトラットリアと乾物屋がありバールの隅では酒類やフルーツや野菜まで何でも売っている。それでも立派なエスプレッソマシーンがあり、カウンターではグラッパを飲んでいる人たちがいた。我々はエスプレッソを注文する。すぐに目の前にカップに1/3ほど入った実にクリーミーなエスプレッソが現われる、皆2杯の砂糖を入れてグルグルグルグル・・・・話初めてまだグルグル、スプーンをおいて、一口で飲み干し、「グラツッィエ」と言って店を出てゆく。「へっ・・もう帰る????」。ところ変わればこんなにも習慣が違うのか。日本で「コーヒーを飲みにゆこう」と言ったら、ウダウダと最低1時間は話し込むのが普通だが、こちらでは「コーヒーをひっかける」らしい。

 

ヨーロッパ史上最初のカフェは、ポーランド人により1683年ウィーンに開かれた。

当時トルコ軍に包囲されたウィーンからトルコ語を話す「トルシッキ―」と言う男が、トルコ兵に変装し、町を抜け出し援軍を呼び見事ウィーンを救った。褒美はトルコ軍が残した大量のコーヒー豆だった。この豆で男はカフェを開いた。当時のヨーロッパは水が悪く、人々はアルコールに走り健康を害するものが多く、そうした理由からこのトルココーヒーは歓迎されブームになり、ヴェネツィア、パリ、ロンドンに次々と広がった。特にロンドンでは300店にも及んだ。

やがてヨーロッパのカフェは、作家,芸術家たちの一種の溜まり場となり、文化や政治思想の変遷においてきわめて重要な役割を果たして行く。

第1次世界大戦後世の中の動きは速くなり、人々の生活から余裕は失われカフェでゆっくり時間を過ごす習慣は次第に消えていき、より簡単に、より迅速に飲食のできるBARへと変化して行った。

イタリアのBARはフィレンツェに生まれた。1898年アレッサンドロ・マナレージが立ったままエスプレッソコーヒーを飲むカフェバール「BARマナレージ」をオープン。エスプレッソはおいしく人気を得たがまだ当時工業化されないコーヒーはかなり高価であったためコーヒーだけでなく、リキュール、ビスケット、ブリオッシュ、菓子類、ポテトチップス、オリーブの実、サンドイッチ、ピッツァ等を置き食の部分を充実させると共に大衆化しようとしたのがBARのはじまりである。

 

こんな生活を3日もすると止められない所だが、残念なことにアンティークの修復とサイズ合わせは無事に終了してしまったのである、ああっ!また明日からイタリア語か!にわかにストレスが溜まりだしたのを覚えている。