エノテーカ ピンキオーリ誕生のエピソード-22-

2009年01月08日

宿題の時間が何とか2時間で終るようになった8月の中頃、日本はお盆の頃かとふと家族のことが思い出されたその夜、東京に電話を入れると悲しい知らせが入ってきた。

妻からで「アガニャが死んだ」「明日お葬式をします」「・・・そうか!たのむ」

お互い短いメッセージしか声にならない。 愛猫アガニャの死が知らされた。

とても頭の良い牝猫で最初の引越しの時妊娠しており、しばらく家に帰らなくなった。3日目、やせ細って家に帰るとついて来いとでも言うようにたらふく食べると、ふり帰りながら鳴いて呼ぶ。

行く先は資材置き場の材木の奥で、そこに4匹の子猫がいた。変わった猫だった、普通は人を寄せ付けないのに、どうしろと言うのか盛んに泣いて私を促す。子猫をさわっても怒らないので。ならばと、連れて帰り押入れの奥に籠を置いてやった。満足そうに目を細めてごろごろと喜んだのを思い出す。里子に出したが一匹だけはかわいそうで、どうしても親から奪えなかった。名をロッタと名づけ、当然の様に甘やかされた。ロッタは外が怖いらしく、出してもすぐに逃げ帰ったものだ。

2回目の引越しをし、今度は一軒家で猫には数段環境が良くなった。アガニャは我が物顔で猫用のドアから出入りしている。この頃ロッタもやっと外に興味を持ち心地よい居場所も見つけたようだ。

そうして何年か幸せな日々が続いたある日、アガニャが2日家に帰らない、珍しいことではないが呼んでも帰らない。3日、不安が広がる足を伸ばし探しても見つからない。どうしたのだろう?もしや交通事故、想定できる場所、状況を考え捜索に入る、おかしい、死体もない。怪我をしてどこかで動けないのか、夜遅くみなが寝静まるのを待って家々の影や倉庫などに声をかけてみるが、か細い声も聞こえない。捜索をあきらめた2ヶ月後の朝、突然に聞きなれた声を耳にした。アガニャ?

「アガニャ」「アガニャ」呼んでみるとか細い声は少し大きくなった。隣家の塀の向こうにいるらしい。呼んでも返事だけで上がってこない。行ってみると、前足二本と崩れた腰をやっと支える片足で震えていた。1990年9月の終わり頃、クシャクシャの顔には必死に生きた2ヶ月が現われていた。

いったいどうやって生きていたのだろうか?

「良く生きていたね、アガニャ」熱いタオルで身体をふいてミルクを飲ませた。

医者はもう骨が固まっており、手術をして直る可能性はない、奇跡的な2ヶ月は運良く内臓が傷つかなかったからだろうと言った。事のほか喜んだのは愛娘のロッタだ、身体をなめ以来一時も離れずからだの繕いを手伝った。それから11ヶ月、再び布団で眠る時の顔はやっと安らかになったのに。

その知らせを持って、私はサンタクローチェ教会に行った。

「アガニャ、向こうで野原を走れ!」そう言って別れを告げた。

イタリアでの始まりは、なんと色々あることか。