エノテーカ ピンキオーリ誕生のエピソード-9-
2008年10月03日
翌日午後2時、一行はまだ昼の客でにぎわうエノテーカ ピンキオーリを訪ねた。
アニー夫人に愛想よく出迎えられ、2階の部屋へと案内された。こちらで午後2時はまだ昼の真っ盛りで、にぎやかに話し、楽しくワインを飲むテーブルの人々を見ていると、ずいぶん日本とは違うイメージを受ける。男女の比率は半々で気難しいビジネスの話をしているテーブルはない。皆一様に食事を楽しんでいる。そう、なんと言っても「アモーレ、マンジャーレ、カンターレ」の国だとつくづく思う。
部屋に案内され、ウェイターが付ききりで世話が始まる。すぐに食前酒のスプマンテが用意され、アニー夫人が現われた。
「シニョール カトー、食事をしている間にジョルジョが来るだろうから内容は私に任せてもらえますか」
「マダム 気持ちはありがたいのですが、実はすでに食べてきました。今日は結構です」
「オー シニョール カトー、食べることも仕事ですよ」
弱ったな、と声のでない皆を残し調理場に行ってしまった。
しばらくして、ソムリエがワインを抱えてやって来て、ウェイターは食事のセットを始めた。
「・・・・・・・・?」 えっ! ほんとに! これから食事! さっき中華を思いっきり食べてしまったばかりなのに! みなの戸惑いも全く無視して、軽めの前菜とパスタと少量の魚料理が出された。
ところがビックリである、思いもよらず、全部食べてしまった。イタリア料理はこんなに繊細で軽い料理だったかな?しっかりとした料理に見えて、何故こんなに軽いのだろう?
誰の目にも、イタリア料理とフランス料理がいま、肩を並べたように見えた。
日本にこんなイタリア料理はまだ無い。
「一刻も早く日本に紹介すべきだな、日本人にピッタリだ」
さすがにチーズは断って、コーヒーだけをもらった。
食後、アニー夫人は、数冊の雑誌と、記事の切抜きファイルを持ってきた。当時はまだ2つ星ながら、イタリアのガイドブック総合得点では、No1の評価を得ていたのである。これには驚いた、イタリアNo1のレストランだったのか、しかも2つ星ながら。
「チャオ シニョール カトー、シニョール オオウチ」満面の笑みを浮かべて、ジョルジョが現われた。
ひとしきりアニー夫人と話をし、おおむねの概況を聞くと突然話し始めた。
「ところで話とは、どんなことですか?」グラスの並々と注いだミネラルウォーターを一気に飲み干しながらジョルジョ氏は聞いた。
「こちらは東京銀座の老舗デパートの子会社でレストランを経営しているアターブル松屋です。銀座、
パリで言えばジョルジュサンク、東京の最高の商業地区の、1150㎡に最高級レストランを計画しています。出店の興味があれば、是非考えてみませんか?」
「もちろん興味はあるが、どんなレストランを作るのか、ワインセラーはあるか、ワインは売れるか、インテリアはどうか、シェフは、ソムリエは、機構はどんな具合だ、・・・・・」
「まだ何もありません、ただ1150㎡のスペースがあるだけです、これから計画が始まります」
「本当のエノテーカ ピンキオーリが再現できるか?」
「そちらが協力してくれれば、よりよいレストランを作る覚悟は出来ている」
「ベーネ」一言目を丸くして言うと、夫人と話し始め、そして席を立った。
20分ほどして二人は戻ると「では出店を前向きに検討しよう」と切り出した。
こうして、エノテーカ ピンキオーリ東京プロジェクトは動き出す事になったのである。
苦難のパリ、冬にしてうららかなフィレンツェ、午後6時のサンタクローチェの鐘の音は一瞬の静寂を破り、新たな時への幕開けを暗示させて、誰もが安堵と身の引き締まる想いを交錯させていた。
一方その頃、坂間英明は八州エンタープライズで会員制のレストランの売り出しの最終チェックをしていた。


