エノテーカ ピンキオーリ誕生のエピソード-11-

2008年10月18日

ある物件販売会社と契約し、「霞水クラブ」の会員券の販売が始まった。10月は36名の会員を集め11月は27名を集めた。12月に入り、社長と専務の外出が多くなり、社にはあまり顔を出さなくなった。1991年新年、会社は8日に始まった、その朝1番に全社員が会議室に招集された。社長は苦虫を潰し、顔を真っ赤にして切り出した。会社の継続が出来なくなりました。負債140億円の回収は見込めず倒産せざるを得ません、何とか「霞水クラブ」で建て直そうとがんばりましたが、めどが立たず、止む無くこのような結果に至りました。

4名の役員と経理担当が1月末まで整理で残り、我々は職を失った。あまり突然のことで、悲しむ暇などなかった、「霞水クラブ」の為に手配していた人材、特にフランスのアンドレ・シニョレーには同僚のセルジュ・マリーと弁護士を通じ事情説明と契約解除の交渉に入った。私自身は失業保険の手続きを行い、幸運にも即6ヶ月の支給を得た。

さてどうしたものか、はじけたバブルは猛烈に企業を襲い、業績の悪化は雇用の機会を奪い去った。そんな2月の間もなく3月になろうというある日、不動産会社で手がけたレストランの開店に多大な協力を頂いた大和厨設の加納社長(現会長)から電話がかかった。

「坂間さん、どうしてる?」穏やかな語り口調についつい甘えて、本音で事情を話したことを記憶している。

「ところで、フランス料理ではないから、興味があるかどうかわかりませんが、デパートの松屋の子会社でレストランを経営するアターブル松屋が、フィレンツェのイタリア料理を東京にオープンするので、マネージャーを探しているんですが、坂間さんはどうですか?」

「イタリアナンバー1の店で、とにかくワインが凄いらしいです」

イタリア料理!  凄いワイン!  しかし何も頭に浮かばない、まず第一にイタリア料理が想像できない、考え込んでる私の様子を見ながら、加納社長は続ける。

「何でも最初はフランス料理をだす予定で、提携店をパリに探しに行ったようですが、何でもそれよりすばらしいイタリア料理があるとの情報で、急遽イタリア料理出店になったらしいのです」

そのくらいだから、とにかく凄いと言う噂ですよ。それも今までのように名前を貸して、年に1,2回指導に来るだけでなく、本格的に乗り込んでくるらしいんです。そこで外国語が話せて、店の切り盛りを一緒に出来る人を探しているようなのですが、私は坂間さんがぴったりじゃないかと思うんです。」

この言葉には心を動かされた。

フランス料理を超えるイタリア料理。私の経験の回路からはとても想像も空想も出来なかった。

世の中には知らない事実がたくさんある、固定概念で捉えられないものがある、いったいどんな店なのだろうか?

どうせ失業したし、その店がどんな店なのか確認する寄り道は許されるだろう。

「加納社長、話を伺います。先方に連絡していただけますか?」わたしも又、イタリア料理を選ぶことになったのである。