エノテーカ ピンキオーリ誕生のエピソード-6-
2008年09月13日
フィレンツェ、ローマ人により建設されたこの都市は、アルノ河の両岸に作られました。物資輸送を考慮し河川を利用するものでヨーロッパの多くの都市が同様にローマ人により作られました。
イタリアで最初に都市づくりをしたのはエトルリア人といわれています。小アジアから移動してきた民族はフィレンツェの北の丘フィエゾレからナポリまでの各地域に城壁の街を築き勢力を伸ばしました。その都市作りは独特で丘や断崖の上に城壁の都市を作りました。現在イタリアに点在する城壁の街はほぼエトルリア時代に作られています。サイホンの原理で山の上にもかかわらず、雨水の有効る利用や井戸から街全体に水道が完備し快適な街となっています。
フィレンツェは13世紀に出現したメディチ家により500年に渡る栄華の結果、当時世界で最もモダンな街として栄えました。建築、絵画、彫刻はメディチ家によるパトロン活動とルネサンスの思想から宗教色から人間味あふれるものへと変化してゆきました。食文化もまた海外との交易から得た香料や食材を利用し豊かで華やかな料理が開発されました。特にオーブンの開発により飛躍的に料理は変化しました。12のコースによる宮廷料理はまた、手で食べる時代に終わりを告げ、フォークとナイフの時代へと新化させ、食事マナーの基本を考案してゆきました。
エノテーカ ピンキオーリはそんなフィレンツにあり、カテリーナ ディ メディチが通った料理教室のある宮殿の近く、ジャコメッティー宮殿の1階に門を構えていました。華々しい食文化の歴史を持つイタリアなのに何故我々日本人はイタリア料理を、カジュアル料理の代名詞のように考えるのでしょうか。イタリア料理=美味しいパスタの強烈なイメージはどこからやって来たのでしょうか。
例外なく加藤氏に連れられた一行は頭の整理がつかないまま、ジョルジョ ピンキオーリとアニーフェオルデ夫人に席に案内されたのでした。
そしてエノテーカ ピンキオーリは見事に一行の期待を裏切ったのである。


