エノテーカ ピンキオーリ誕生のエピソード-5-

2008年09月05日

まだ時間はある。必ず日本に進出したいシェフはいるだろう。あらためてルートを探して条件に見合ったシェフを見つけよう。

3つ星シェフが無理なら、2つ星と言う手もある、2つ星のシェフはまだ多くのスポンサーや契約のオファーも無いだろうし、有能なシェフはいまや3つ星を狙い意欲的に料理に打ち込んでいるに違いないと聞く。その勢いで3つ星への昇進の歓喜を共に味わうのも悪くないではないか。

などと考えてみたものの、どうにも気が沈むのは仕方の無いことであった。

雰囲気を察したかのように加藤氏から話が出された。「アターブルさん、実は私どもがフィレンツェで仕事をしていた頃、実にユニークなイタリア料理店があったのを思い出しているのですが、興味はおありですか?」

「皆さんはイタリア料理をどの様にお考えかわかりませんが、まだ日本には本物のイタリア料理店はありませんし、ヨーロッパで言うイタリア料理はフランス料理のルーツとして2000年猶予の食文化の総本山のような存在です。今でこそフランス料理はヌーベルキュイジーヌともてはやされていますが、世界中の数から言ってもイタリア料理のほうが多いのではないでしょうか?」

その言葉にはイタリア料理のイメージを一変させる趣があった。

「このまま手ぶらで帰るのもなんだし、ではフィレンツェに行ってみましょうか?」誰かがそう切り出した。こうして一行は期待を抱かず、フィレンツェにむかうことになった。

誰一人としてこの時、イタリア料理を日本に持ち帰ることなど考えていなかった。

パリからフィレンツェには国際便でピザに飛び、タクシーで約1時間の道程である。今でこそフィレンツェ空港には多くの小型ジェット機が離発着しているが、当時はプロペラ機でアルプスを越えるのを誰もがためらいピザ経由を選ぶのが常であった。

「ボンジョルノ シニョール カトー」オーナーのジョルジョ ピンキオーリ氏の出迎えるエノテーカ ピンキオーリに一行はたどり着いたのである。